心臓病を理解しよう

人工心肺装置による心臓手術の新しい展開

血液が充満し動いたままの心臓や大きな圧力で流れる血管の中を手術することは極めて困難であることは容易に分かりますが、あの手この手でなんとか手術が行われていました。しかしブラインドで穴を閉鎖したり切ったりする方法や、低体温法による短時間の心停止下での手術も限界がありました。フィラデルフィアのGibbonも同様の限界に苦しんでいました。肺梗塞の患者さんにTrendelenburgが行った肺動脈血栓除去を行うも肺循環、全身循環が保てずにほとんどの患者さんが死亡しました。そしてGibbonは人工心肺の開発が心臓手術成功に欠かせないと思い、動物実験を重ね、20年もの歳月をかけて人工心肺装置の開発を行ないました。またIBMの協力も開発に拍車がかかりました。そして1953年にGibbonは18歳の心房中隔欠損症に対し世界で初めて人工心肺装置を使って手術を行い成功しました。しかしその前後に3人の患者にも人工心肺装置での心臓手術を行いましたが、生存者はいませんでした。彼はその後心臓手術をすることはありませんでした。

それとは別の基礎分野において1916年にヘパリンが発見され1935年に人間への使用が開始されました。これにより、血液が固まらず体外で循環できることになりました。ヘパリンの発見も人工心肺装置の陰の立役者で現在でもなくてはならない薬品となっています。

しかし開発時の人工心肺装置は完全とは言えず、血液を酸素化させる人工肺に関しては血液に酸素を吹く方法で血液の中の溶けてない酸素により脳梗塞になる危険性がありました。そこで、ミネソタのOwen H. Wangensteen門下のLilleheiは1954年に子供の心臓手術時に親の動脈、静脈をつないで親の心臓と肺で子供の循環を助けて心臓の手術を行いました。最初の手術は術後肺炎で亡くなりましたが、2例目の心室中隔欠損症の5歳の少女の手術は成功しました。その後45例の手術を行い28例の生存を得ました。クロスサーキュレーションという方法は画期的でしたが、一人の患者の手術で2人が命を落としかねない死亡率200%の心臓手術と言われることもあり、LilleheiはDeWall とともに安全な人工心肺装置の開発に取り組みバブルオキシゲネーターという安全な人工肺による人工心肺装置での手術を行い、その安全な人工心肺装置は世界中に広がりました。

さらに優れた人工心肺装置の開発が各地で進められました。ハーバード出身のJohn Kirklinはメイヨークリニックでさらに洗練した人工心肺装置と卓越した知識、技術で心臓手術を安全なものにしていきました。